「わかったつもり」で結局はわかっていなかった
「2828_文脈とスキーマ(1)」でブログ記事「痒い所に手が届いていないもどかしさ」を取り上げていただきまして、ありがとうございました。
会社の往復通勤時間(バスの中)と会社で視聴しましたが、ズシンと心に響く内容でした。
昨日のブログにも書いたように、「この文章はこういう意味なんだろう」と勝手な思い込みをし、管理人さんに指摘していただくまで、自分の解釈が間違っていることに気が付かなかったのです。
管理にさんの言葉、「わからないほうがいい、わからないことを素直に認めることから、全てが始まる」を聞いて、本当にそうだな、と思いました。
「自分が実はわかっていないことを知る」ことが、今の自分のスタート地点です。
これは、かなりガチガチに固くなった脳地を耕す必要がありますね。
半年くらいでチコちゃんの突っ込み&その回答を自作自演できるような柔軟な脳地にパワーアップさせたいと思います。
焦らない
「その分野の対訳を取るだけの常識力がない。そこを焦ってチキショウとやっても仕方がないので、一歩引いて、本を読んだ方が早いのではないか」
これもビデオ内の言葉です。
確かに、その分野の知識の獲得を優先する必要がありました。
これまでも少しずつ本読みを進めていましたが、対訳と同時進行ではなく、その分野の本を先に集中して読み、ノート作成するべきだったと、反省しています。
なぜそれをしなかったのか?
焦っていたからです。
自分がトライアルを受けたい、また特許翻訳者として稼働したい日から逆算すると、そろそろ対訳学習を始めなければ、予定より遅くなってしまうと思っていたからです。
しかし、闇雲に逆算したからといって、中身を伴わなければ何の意味もない。
日銭を稼ぐような翻訳者にならないためにも、ちょっとやそっとじゃ崩れないベースを作り上げておく必要がある。
しっかり念頭に入れ、軌道修正を試みます。
軌道修正
対訳はひとまず中止し、2冊の本のノート作成することから始める予定です。
急がば回れで、足りない知識の補充に専念します。