時間は有限
自分のこと
アラフォーからアラフィフに近い年になりつつあります。
若かりし頃には海外留学などをし、好き勝手に暮らしてきました。
そしていわゆる結婚適齢期と呼ばれる時期よりも遅くに結婚、そして出産し、ありがたいことに幸せな家族に恵まれました。
頼りの実母
しかし共働きをしているため、まだ小学生の子供2人の世話を、実母にお願いすることがあります。
子供が今よりも小さいころには、「お子さんが熱を出したので迎えに来てください」と、幼稚園や学校から電話がかかってくることがけっこうありました。
職場を退社できないときには、母にお願いして迎えに行ってもらいました。
また、子供が病気で寝込んだときにも、自分がどうしても職場に行かなくてはならないため、母に看病をお願いしたこともあります。
そうやって手助けしてもらえる人物が近くにいるということは、本当に幸せなことなのでしょう。
これまでずっと元気で、ほとんど病気などをしなかった母も70歳になり、時々体調を崩すようになりました。
そして今日の夜、母の体調がいつも以上に悪くなったため、救急病院まで車で連れていくという体験をしたのです。
点滴を打ち、薬をもらって身体は少し楽になったようですが、今でも顔色が悪く、やはり心配になります。
今はまだ食欲がないようですが、ありがたいことにしっかり自分の足で動けますし、意識が朦朧としているわけでもなく、数日もしたら体調は回復しそうな感じです。
しかしそんな元気のない母を見て、「いつまでも親に頼れると思うな」、と自分に言い聞かせました。
最大のリソース「時間」がなくなるとき
これまで頼っていた親に、反対に頼られる時期が来ます。
その時期は、そんなに遠くはないのではないか。
ならそれまでに、フリーランスの翻訳者として在宅でしっかり稼げるようになっておかなければいけないのは、当然のことです。
しかし、今の環境を変えられないとしたら、そこに行きつくまでにどれくらいかかるのか、行きつくためにどれくらいの時間を割けるのかなど、焦燥や不安感が募るばかりです。
最大のリソースである時間がなくなってしまう前に、早く稼げるようになっていたい、本当にそう願うばかりです。
「いつまでも、あると思うな親と金、そして最大のリソースである時間」